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おるとちのぶろぐ

新潟中越地震を期に発足した『災害ボランティアオールとちぎ』の情報発信ブログです。

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3/24-26 被災地活動報告

被災地活動報告書

期間:平成23年3月24日~26日
場所:宮城県石巻市(市街地部・雄勝町)、女川町、気仙沼市
目的:被災と避難所の状況及び避難所間格差の確認、今後の支援方法等の検討

概要
〔3月24日〕
 朝5時30分、TK氏(社団法人減災復興機構理事長、災害復興学会理事)を駅前のホテルでピックアップし宇都宮発、6時に高速道路が一般車通行可能となったことから、交通量が多く、SAのGSは既に渋滞が始まる。
 11時過ぎに石巻市に入り、元石巻消防本部消防長のI氏宅で昼食。この蛇田地区は内陸にあり被災もなく、電気・水道も復旧していて、物資は手に入りにくいが普段に近い生活を送っている。
その後、I氏の案内で雄勝町へ向かう。地区への主要な幹線道路は通行止めのため、唯一のアクセス道である林道で約1時間を要して、避難所のある雄勝森林公園へ、ここは雄勝町の市街地部から山側へ3kmほど入ったところにある。
管理棟ホールとコテージ4棟、そしてキャンプの炊事棟内には大型テントが張られ、約70人が避難生活を送っている。
 敷地内には水道水源となっている沢があり、その水が生活用水となっている。被災直後は約200人が避難していたが、その後他へ移動した人が多い。町が壊滅状態でこの地での生活再建は困難と判断した人も多いとのこと。
 自分たちで炊き出しを行っているが、物資も少なくなってきており、外部からの支援物資の提供に依存している(市からの提供では生鮮品等は取り扱っていないため期待できない)。
 1棟のコテージを見せて頂いたが、8畳ほどの広さの室内に、ベッドスペースが2段になっており、そこに7人が避難していた。子どもたちもすぐ横にある沢に降りてペットボトルに水をくみ運んでいるその下で、大人が洗濯をしていた。被災以降、風呂もシャワーも浴びていない。
 その後、雄勝町市街地へ向かうが、十軒程度の民家が残っているのを確認した後に、視界が開けると、そこは一面が津波によって全てが破壊尽くされた状況に愕然とした。
 海から1km以上内陸部で、海面より20m以上は高いと思われる新しい住宅団地として造成された場所には、建物の基礎しか残っておらず、流された漁船が残っている。 
RC(鉄筋コンクリート)造の建物のみが残り、鉄骨造の建物も破壊され、木造の建物は跡形もなく破壊され尽くされている。RCの雄勝中学校の3階にも津波が通り抜けた跡が残り、まるで爆撃でも受けて破壊されつくしたようで、声も出ない。
被災した区域以外で住宅を建設可能な場所はほとんどなく、被災者の中には既にこの地での生活再建を諦めるような声もあるとのことで、この地を復興させることが果たして可能なのか、答えを導き出せそうにない。
 この地域で活動してきた南アフリカ援助隊と遭遇した。現地では多くの国の援助隊の方々が活動している。その献身的な活動に心から感謝したい。
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その後、石巻市災害対策本部を訪問し、市長不在であったので副市長に面会し、被災後から復旧・復興期に至る被災者の方々の疑問に応えることができる冊子の配布を提案し、早期に配布したいとの回答があった。
石巻市の避難所数:210カ所、避難者数:29,000人
午後6時過ぎに専修大学石巻キャンパス5号館1階西側の災害ボランティアセンター(VC)を訪問した。
内部には、石巻市社会福祉協議会とボランティアによる共同運営でのスタッフが約20名ほど活動しており、各グループ別に打合せを実施していた。
当日の活動ボランティア数は約40名程度で、ほかに20名程度の団体が別途活動したとのことだが、まだまだ少ない状況。また、被災者自身がVCの存在を知らないために、自宅等の片づけを自力のみで対応しているおり、VCの周知とボランティアの受け入れの対外的発信が必要である。
しかし、石巻市内での盗難や犯罪の発生等の風評が拡大しており、活動の阻害要因になっている側面もあるのが非常に懸念される。

〔3月25日〕
 前日に引き続き、I氏の案内で女川町を訪問した。被災状況は雄勝町同様で市街地部の木造建物は全て破壊され尽くしており、海岸線近くの3階建のRC造の建物が津波の引き波で基礎ごと横転している物がいくつも見受けられた。
町役場のRC3階建ての建物は3階まで津波が襲った跡の残骸が残った無惨な状況であった。
高台にある中学校の対策本部で町長から話を伺った。避難者は3月13日時点で5,720人いたが24日現在は2,584人(21カ所)、行方不明(警察届)762人、遺体252体、生存確認8,023人、他所への避難が約500名程度、そのため約500名程度が警察に届けがない行方不明と見込まれている。
VC受付は社会福祉協議会職員が3名で受付をしていたが、当日の受付は7名のみ、全て町内だが、ニーズは上がってきていない。ほとんどの自宅が跡形もなくなっているため、片づけもなく、避難所運営サポート程度となっている。外部からの炊き出しは数団体が入った。
中学校体育館は物資ストックヤードとなっており、約2m程度に積まれた大量の物資があり、それを自衛隊員が運び出して各避難所へ配送するところであった。
避難所となっているすぐ近くの総合体育館に伺った。体育館入り口の下駄箱前にもマットを敷いてその上に毛布にくるまって休んでいる人もおられる。被災当初は約2,000人がいたが現在は800人。敷地内には自衛隊設営の風呂もあり、大規模避難所ゆえの充実さが目立った。
正午頃に石巻市内に戻り、海岸沿の被害箇所を確認した。日本製紙工場から市民病院付近は、津波被害と貯蔵タンク等の倒壊で流出したと思われる重油?による火災で一面は焼けただれた状態で、小学校も焼失していた。
1週間前は通行不能であった道路が、障害物が除去されたことで主要道路は通行可能となった箇所も多く、ガソリンスタンドも一部営業再開したことでガソリン渋滞も始まっていた。それにより道路の交通量も増加して至るところが渋滞しているので、今後の活動では相当移動時間が必要になると思われる。
市内のスーパーも1人当たり10品といった制限はあるものの、徐々に物流が改善され、物資も手に入りやすくなりつつある。
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午後2時ころに石巻市を出発し、気仙沼市に向かう。道路状況から南三陸町を避け、登米市経由で気仙沼市本吉町に入り、広域幹線道路である国道45号線で北上する。
海岸線に近いこともあり、至る所で道路が寸断された箇所が仮復旧で通行を確保している。鉄道の気仙沼線は線路がズタズタの状態。
夕方、気仙沼バイパスのパーキングで元石巻市消防本部消防庁のK氏と合流し、K氏の自宅へ向かう。K氏宅は電気のみが通電している。プロパンガスだったが娘と妹宅が都市ガスで供給されていないので、自宅のプロパンをそちらで使用しているため、電気ポットと電気炊飯ジャーのみで生活している。

〔3月26日〕
 朝6時40分、石巻市災害対策本部へ伺い市長と面会。気仙沼の海岸付近が総体的に70~80cm程度地盤が下がっており、満潮時に水没することが最大の問題。今後の復旧・復興で大きな障害になるとの懸念を示されていた。
被災世帯:約9,000世帯、避難者:約15,000人、死者・行方不明者:約2,000人。
 気仙沼市の主要産業は漁業と水産加工業で、その関連も含めると市民の約8割にのぼる。水産業が産地間競争が厳しい中で、早期に再建できなければ市が衰退するとの危機感を抱いている。
 その後、午前7時からの災害対策本部会議を傍聴させて頂いた。市・消防・警察の他、宮城県・市立病院・NTT・東北電力・国土交通省・海上保安署・東京消防庁・東京都医療救護所がメンバーで、前日からの変更内容の報告と、本日の活動内容の確認がなされ、20分ほどで終了した。
 対策本部を出てTBSの取材クルーと合流し、市内で被害の甚大な鹿折地区と市場周辺を確認した。
 鹿折地区は住宅と商店が混在した地区で港から1km程度のところが重油?と見られる火災で1昼夜燃え続けたといわれており、20tの大きなマグロ漁船が流れてきているのが、津波のパワーを見せつけている。
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その後、港に向かうが海産物店等の土産物が多く立ち並んでいた付近は壊滅状況で、湾内には火災で焼けただれた20tクラスの大型船が幾つも確認された。
 高台にある観光ホテルから市内を見渡したが、湾の入口には津波で倒れた巨大タンクや流されたタンクが津波のすさまじさを感じさせた。
 高台にある気仙沼中学校の避難所を訪問した。避難所に開設した臨時診療所の医師から話を伺ったが、ここ数日で風邪のような症状を訴える人が増えているとのことであった。また、自衛隊の救護所も開設されていて、毎日70~80人程度が受診している。現時点での避難者は約700人。
60代女性の避難者の方に伺うと、炊き出しはこまめにあり、すき家の牛丼や自衛隊のカレー等、食事は比較的バリエーションがあり喜ばれているとのことであった。その女性は美容師だが津波で全て流出したが、仲間からハサミ等の道具を譲ってもらい、避難している美容師数人でみずから頭髪カットのボランティアを近く始めたいと考えているとのことであったので、その際に被災者から聞いた話をつぶやきとして書きまとめ、本部に対するニーズとして伝達することを助言したところ、ぜひそうしたいと前向きな回答であった。被災者自身が自ら動こうとしている姿勢が出始めていることは非常によい傾向であり、それ以外の面にも波及できるよう、思いついたことを仲間の中から広げていくことを勧めた。
K氏の本家当主が市社会福祉協議会次長の職にあることから、現在の状況を電話で確認して頂いた。現在、県外等からのボランティアは受け付けていない、また、まだニーズはほとんど上がっていないとのことであった。ここでも社協の都合主義的な対応が非常に気になった。
K氏からは、酒造メーカーの「男山」社長が被災していながらも避難所で酒粕を使った甘酒等の炊き出しを一緒に実施したいとの相談を受けているとのことで、是非それに協力してほしいとの申し出があった。当方としてまだ支援体制が整っていないため、今後の検討材料としたいとのみ回答した。
SVAのS氏と連絡を取ったところ、28日以降でなければ活動拠点が決定しない。
午後1時頃、K氏宅へ戻り、TK氏やTBSテレビクルーと別れ帰路についた。
途中、一関市室根地区の今後の活動拠点候補地の現地を確認した。
  1. 2011/03/30(水) 00:18:01|
  2. 東日本大震災

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