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おるとちのぶろぐ

新潟中越地震を期に発足した『災害ボランティアオールとちぎ』の情報発信ブログです。

にいがたから みんなえがおに -中越地震追悼イベント

先日、中越地震で甚大な被害を受けた和南津地区で、「絆の道ウォーク」が行われた。震災直後に真っ暗な中、トンネルの崩落で通れなくなった国道17号の上の旧道を、家族の無事を祈って歩いて通った道を「絆の道」と呼ぶ。上まで登って、「峠の茶屋」で石と物々交換で飲み物や団子を買った。そして、皆でメッセージボードにそれぞれの思いを書き込んだ。
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その「絆の道ウォーク」の帰り道、東の空に上りかけた月を見ながら、こんな会話を聞いた。
「地震前夜は今日みたいに満月だった」
「揺れが収まるのを待って、倒れた家の中から布団を引きずり出して、道路で寝た」
今まで聞いたことのない「生の体験」は、とても印象的だった。今は普通に話しているが、その体験は決して忘れられるものではないと思った。
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その後、私は追悼イベントが開催される川口町の公園へ向かった。公園の斜面には、キャンドルで「にいがたから みんなえがおに」の文字が点灯されていた。この言葉は、震災当時、被災した中学生が全国へ発信するために考えた言葉だ。辛いことを経験しながら、笑顔になるのはとても難しい・・・感無量。
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そして、再び和南津へ戻り、Mさんのお宅へお邪魔した。ここでも、震災当時の体験をたくさん聞いた。
地震発生時、Mさんは親戚の方と電話中で、電話を切る間もなく、そのまま電話の子機を投げ捨てて家の外へ。親戚の方には、「気が狂ったと思った」と言われたらしい。その後、Mさんは様々な所へ助けを求めに行ったが、自分にはその様な記憶もないらしい。また、震災の翌日にメディアが映した路上に書かれた「SOSメッセージ」についての話も聞いた。先日の新潟日報に掲載された写真をよく見ると、「S」の文字が「3」にも見える。「それだけ必死だった」と一人が話す。

「オールとちぎ」が最初に和南津へ入った時の話も出た。今となって、ボランティアの存在は大きいと分かったが、当時は理解できなかったとか。震災によって失われたものが多いが、新たに生まれた「絆」がある。震災の記憶を次の世代へ伝える事が大切かも知れないが、それより重要なのは、この「絆」が切れることなく、次の世代でも固く結ばれるようにすることではないでしょうか?

新潟の皆さんは「えがお」でがんばっている。
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  1. 2010/10/28(木) 00:20:11|
  2. 新潟中越沖地震

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