25日(土)、中越地震から4年が経った川口町に青木、菊池で行ってきました。
今回は、紅葉シーズン
で日光付近の大渋滞を回避し、50号から関越道で川口へ
北関東自動車道も太田まで伸びたので、早いこと早いこと
2時間40分で和南津に到着しました。
そば刈りまで時間があるのでナカヤチでお茶
をいただきにお邪魔しました。
心配していた奥さんも大病ではないようで一安心。
那須水害イベントのことや岩手・宮城内陸地震の被災地の話など
時間になりそば畑へ
栃木組以外は川口町の方。
鎌を使って刈り取ります。
稲と違って折れやすく、倒れているもの多かったです。
刈ったそばを稲わらで束ねて軽トラに積み和南津まで運び、はざにかけます。
乾燥したらたたいてそばを落とすそうです。
今回は、少し湿っていたので後日。
そばの刈り取りの後は、カリフラワーの収穫を。
手の空いた人は、柿を採って秋の甘味を味わいました。
作業も終了間際に黒磯から大島さんが来てくれました。
只見を抜けてきたようで、紅葉が見事だったそうです。
作業の後は、かまぼこ型倉庫で懇親会。
魚沼産コシヒカリのおにぎり
にチラシ寿司、お漬物などなど
地元の山で採れた“あまんだれ”というきのこ汁が、体を温めてくれました。
今回は、栃木以外の地域からの参加はなく栃木の二人以外は川口人。
初めて参加した方もいて、自己紹介開始。
娘さんが大田原の大学に通っていたので栃木へは行ったことがあるよ~という
カナエちゃんのお母さん。(カナエちゃんは、中越地震の時大学生でした)
わくわく和南美などの
HPを担当しているシゲカツさん。
わくわく和南美の代表でカナエちゃんの父親のキヨシさん。
長岡造形大で復興支援センターのニレイ君。
和南津の総代、ヨネヤマさん。
震災時は仕事をしていて地区にことはあまりわからなかったが
今回総代になって色々見えてきたという。
西川口から参加のナカヤチさんの味噌作り仲間のコミヤマさん。
コミヤマさんは、震災の時の西川口の総代をしていたそうです。
和南津のナカヤチさん同様に、多忙という言葉では言い表せない程の時間が流れたという。
西川口は、和南津ほど被害は酷くはなかったが、ボランティアが来なかったわけではない。
しかし、その少ないボランティアとは震災直後の支援のみでつながりがないという。
和南津での栃木との交流を体験し、ボランティアとのつながりがなかったことが悔やまれるという。
そして、4年前から通っているアオキ。
那須水害にあってから中越にボランティアに参加したオオシマさん。
水害が起きてボランティアに助けられた話、
それまでボランティアはしたことがなかったがどこかで恩返し
がしたいと
思っていた矢先の度重なる中越での水害と地震。
オールとちぎとの出会い。猫ばあちゃんとの出会いなど
それからの繋がりで那須水害イベントでの和南津地区との交流の話など・・・
久しぶりに参加のVネットのキクチさん。
ナカヤチさんの奥さん。
和南津の
カメラマン、ガクハリさん、通称ぼけさん。
今年より参加のセキさん。セキさんは、
パン屋さんで粉の扱いには慣れている!
和南津の誰よりも先に、そば打ちをマスターするぞ!と。頼もしい
今回は、代表のトシアキさんは、結婚式にお呼ばれで欠席でした。
が夫の留守を守ってくれているのがウメノさん。
あの猫ばあちゃんに毎日お昼を持っていっているそうです。(感涙)
絆の道ウォークのアナウンスをしてくれた丸山ヨシエさん。
わくわくの活動の始まりの話など。
そして遅れてきた復興支援センターのカスガさん。
支援センターに来てからも何をしたらよのかわからなかったけれど
地域を歩いて皆さんと話すことで活動が見えてきたこと。
そばの郷で購入したそば打ち道具のことも。
その道具でそば打ちの腕を上げて、宮城の被災地を応援しに行きましょう!
という案も出ました。今後の活動展開が注目されます。
そして最後にナカヤチさん。
あの頃は、何をしていたか記憶がないという。
しっかりと和南津のことを考えて奔走していましたよ。
それから栃木との繋がりの話になり・・・
後日、味噌詰めと絆の道ウォーク
の様子を紹介します。
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- 2008/10/26(日) 21:11:14|
- 新潟中越地震
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