ハロウィン in 多摩センター2008に参加してきました。10月25日(土)、26日(日)に多摩市多摩センターに行ってきました。
今回は、
多摩青年会議所主催の炊き出しブース(たま汁:多摩で取れた野菜のみで作ったけんちん汁風)の一角で「防災啓発」をさせていただきました。

この「防災啓発」の内容は、だれでも参加できる「那須っ子防災ゲーム」の発展系「多摩っ子防災ゲーム」です。約5分間で持ち足しグッツを10コ書いてもらいます。(実際の災害の規模や種類によって多少の違いはありますが・・・)これは、快援体の原さんのコーディネートにより実現しました。
なぜ、「炊き出し」と「防災啓発」が一緒かというと回答用紙に、たま汁の引換券がついているからです。

表(角に炊き出し引き換え券付き) 裏
25日の朝早く宇都宮を出発し、午前9時に到着。早速、災害をイメージしてもらう写真パネルを掲示しました。10時の開始からたくさんの人がイベントに来ていました。当ブースにもたくさんの人が興味をもってくれました。

簡単に防災レクチャー 連日大盛況でした

用意していた「たま汁」はあっという間になくなりました。(おいしかったから♪)

19時からは原さんと夕飯と共に今後の活動について打合せ。(ご馳走様でした。)
26日も朝早くから準備します。、多摩青年会議所のメンバーにも「多摩っ子防災ゲーム」をやっていただきました。

メンバーも驚きの回答や珍回答にみんなで盛り上がりました。
今日も用意していた「たま汁」はあっという間になくなりました
。(合計で約1,000杯)

いつの間にか行列も出来ていました。
18時から多摩青年会議所の打ち上げにも参加。いろいろな防災について話をしました。熱い人が多かったので、こちらも熱く語りました。今後もいろいろな面で協力していける関係が築けたような気がします。また機会がありましたら、よろしくお願いします。

最後は多摩青年会議所の皆さんと記念撮影
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- 2008/10/28(火) 08:00:00|
- その他地域
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25日のそばの刈り取りの続きです。
和南津でおなかいっぱい食べた後、
絆の道ウォークまで時間があるということで
ナカヤチさんとコミヤマさんとで味噌蔵へ
その味噌蔵は、復興支援センターと同じ場所にあるんです。
って初めて訪問させていただきました。
支援センターの皆さんは、町内各地に飛びまわっていて不在でした。
支援センターは、川口中学校のグランドの先、
田麦山に向かう途中にあります。
そのセンターの味噌蔵へ
戸を開けると味噌のいい香りが~
このお味噌は、ナカヤチさんの作った麹を使用しています。
コミヤマさん、ナカヤチさん、セキさんの3人で始めた“豆だ会”
のお味噌は、あぐりの里で評判です。
早速コミヤマさんが味噌詰めを開始。
一緒に行った菊池さんと見よう見まねで味噌詰めのお手伝い



お手伝いして美味しいお味噌をいただきました。
その後、和南津に戻って絆の道ウォークに参加
和南津の方が、私たち栃木人を見つけると
「ほらっ衣装用意してあるからね!」と言われるままに集落センターに
いつの間にか二人とも町娘

(違う)に化けました!
子供たちに「化けてる!」と言われてしまいました(苦笑)
今回のテーマは、佐渡金山から金をお上に献上する一行の様子
リヤカーに金塊を乗せてムシロで隠し、ミノを背負った姿で
絆の道を歩きはじめました。
その後に、和南津の皆さんも普段着で歩く。
仮装しているのはわくわくの数名と栃木の二人だけ・・・

それにしても、就学前の子供たちからおばあちゃんまで
沢山の方が一緒に三国街道を歩きました。
峠を登ると峠の茶屋が出現
石ころで買える。甘酒にお茶

に団子

に麦酒

に乾パン(?)


一息ついてから一里塚があるというところへ
そこは、4年前にそばの栽培を始めて行なった“耕作出来なかった田んぼ”のあった場所。
1年目は、種まき後の長雨で苗が育たずに不作でした。
その田んぼも翌年からは、立派な田んぼとして使われています。
そこにいた“猫ばあちゃん”。
その隣にあった一里塚。何やら貴重なもののようです。(詳しくはわかりません)
ばあちゃんにあって色々と話は弾み・・・
その後、集落センターへ向かいました。
その途中での話。
地震の時に日光にいて乾杯寸前で地震にあったボケさんの話。
震源地が中越でることがわかり夜の10時に日光を出発して和南津に戻ったとか。
その時すでに「和南津トンネル」が崩落していて通行不可の状態。
その時に通ったのがこの旧三国街道です。
この“絆の道”を真っ暗闇の中、携帯のバックライトで照らしながら進んだ。
クロネコヤマトのトラックがひっくり返った程にぐちゃぐちゃになった道。
星もない真っ暗で寒々とした秋の深夜、家族の安否を願って急いだ道。
集落は真っ暗だった。地域のみんなが道や倉庫に避難していた。
集落では悲しいことに犠牲者がでた。
その後は、無我夢中で生き抜いた・・・
集落のみんなと助け合いながら。
金塊を積んだ一行は、無事にお上に献上し
和南津に戻ることが出来ました。
そして栃木の一行も無事に下野の国に戻りました。
日帰りの強行軍でしたが、4年の月日を振り返ることができた
貴重な1日でした。
- 2008/10/28(火) 00:02:04|
- 新潟中越地震
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本日の下野新聞(栃木の地元紙)3面に、
オールとちぎの記事が掲載されました。
- 2008/10/27(月) 19:54:54|
- 未分類
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25日(土)、中越地震から4年が経った川口町に青木、菊池で行ってきました。
今回は、紅葉シーズン

で日光付近の大渋滞を回避し、50号から関越道で川口へ

北関東自動車道も太田まで伸びたので、早いこと早いこと
2時間40分で和南津に到着しました。
そば刈りまで時間があるのでナカヤチでお茶

をいただきにお邪魔しました。
心配していた奥さんも大病ではないようで一安心。
那須水害イベントのことや岩手・宮城内陸地震の被災地の話など
時間になりそば畑へ

栃木組以外は川口町の方。
鎌を使って刈り取ります。


稲と違って折れやすく、倒れているもの多かったです。
刈ったそばを稲わらで束ねて軽トラに積み和南津まで運び、はざにかけます。



乾燥したらたたいてそばを落とすそうです。
今回は、少し湿っていたので後日。
そばの刈り取りの後は、カリフラワーの収穫を。
手の空いた人は、柿を採って秋の甘味を味わいました。

作業も終了間際に黒磯から大島さんが来てくれました。
只見を抜けてきたようで、紅葉が見事だったそうです。
作業の後は、かまぼこ型倉庫で懇親会。
魚沼産コシヒカリのおにぎり

にチラシ寿司、お漬物などなど
地元の山で採れた“あまんだれ”というきのこ汁が、体を温めてくれました。

今回は、栃木以外の地域からの参加はなく栃木の二人以外は川口人。
初めて参加した方もいて、自己紹介開始。
娘さんが大田原の大学に通っていたので栃木へは行ったことがあるよ~という
カナエちゃんのお母さん。(カナエちゃんは、中越地震の時大学生でした)
わくわく和南美などの

HPを担当しているシゲカツさん。
わくわく和南美の代表でカナエちゃんの父親のキヨシさん。
長岡造形大で復興支援センターのニレイ君。
和南津の総代、ヨネヤマさん。
震災時は仕事をしていて地区にことはあまりわからなかったが
今回総代になって色々見えてきたという。
西川口から参加のナカヤチさんの味噌作り仲間のコミヤマさん。
コミヤマさんは、震災の時の西川口の総代をしていたそうです。
和南津のナカヤチさん同様に、多忙という言葉では言い表せない程の時間が流れたという。
西川口は、和南津ほど被害は酷くはなかったが、ボランティアが来なかったわけではない。
しかし、その少ないボランティアとは震災直後の支援のみでつながりがないという。
和南津での栃木との交流を体験し、ボランティアとのつながりがなかったことが悔やまれるという。

そして、4年前から通っているアオキ。

那須水害にあってから中越にボランティアに参加したオオシマさん。
水害が起きてボランティアに助けられた話、
それまでボランティアはしたことがなかったがどこかで恩返し

がしたいと
思っていた矢先の度重なる中越での水害と地震。
オールとちぎとの出会い。猫ばあちゃんとの出会いなど
それからの繋がりで那須水害イベントでの和南津地区との交流の話など・・・
久しぶりに参加のVネットのキクチさん。
ナカヤチさんの奥さん。
和南津の

カメラマン、ガクハリさん、通称ぼけさん。
今年より参加のセキさん。セキさんは、

パン屋さんで粉の扱いには慣れている!
和南津の誰よりも先に、そば打ちをマスターするぞ!と。頼もしい

今回は、代表のトシアキさんは、結婚式にお呼ばれで欠席でした。
が夫の留守を守ってくれているのがウメノさん。
あの猫ばあちゃんに毎日お昼を持っていっているそうです。(感涙)
絆の道ウォークのアナウンスをしてくれた丸山ヨシエさん。
わくわくの活動の始まりの話など。

そして遅れてきた復興支援センターのカスガさん。
支援センターに来てからも何をしたらよのかわからなかったけれど
地域を歩いて皆さんと話すことで活動が見えてきたこと。
そばの郷で購入したそば打ち道具のことも。
その道具でそば打ちの腕を上げて、宮城の被災地を応援しに行きましょう!
という案も出ました。今後の活動展開が注目されます。

そして最後にナカヤチさん。
あの頃は、何をしていたか記憶がないという。
しっかりと和南津のことを考えて奔走していましたよ。
それから栃木との繋がりの話になり・・・
後日、味噌詰めと絆の道ウォーク

の様子を紹介します。
- 2008/10/26(日) 21:11:14|
- 新潟中越地震
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そばオーナー各位
そばの刈り取りの案内
10月25日(土)
朝10時 畑集合
そばの刈り取りを行います。
鎌をお持ちの方は、持参してください。
※当日に昼食代500円お願いします。
当日は、そば打ちは行いません。
オーナーでない人も参加可能です。
収穫祭は、11月16日(日)に予定しています。
和南津そばの郷
- 2008/10/21(火) 21:32:37|
- 新潟中越地震
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10月19日新潟県川口町のよってげ亭祭に餃子焼きで参加してきました。今回は少数精鋭の2名(関口、徳山)の参加です。たぶんオールとちぎとしては今年最後の出店になるのではないでしょうか。いつもの日光・足尾経由の道は紅葉の観光客で大渋滞と予想されたため、佐野・足利経由で新潟へ向かいました。関越自動車道の関越トンネル付近では紅葉も色づいてきてなかなかきれいな景色となっていました。
川口町に到着するとまず「和南津そばの郷」代表のお宅を訪ね少々世間話をしてきました。10月25日のそば刈の日は今のところ雨の予報だと心配していました。
10時頃会場に到着して早速準備を行い餃子の販売を始めました。7月以来3ヶ月ぶりの登場に道行く人から「しばらく姿を見せなかったねえどうしたの?」とありがたい声を多くかけていただきました。
能登の穴水町からも商店街の人が出店していて、お酒と干物を販売していました。川口町との交流会を兼ねて出店しているとのことで、被災者同士の交流がますます深まっていることを感じさせます。

私たちの販売している餃子はまずまずのペースで売れて午後1時前には完売(いつもより少ない約60人前分)しました。「来年もまた参加してください。」との声をみやげに帰路についたのでした。
- 2008/10/20(月) 16:44:45|
- 新潟中越地震
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動力機材等を活用した災害ボランティア講習会【DRT2008南蔵王】
=Disaster Relef Training 2008=
阪神・能登・中越・中越沖、中国四川省での災害支援のボランティアの活動を通じて現場コーディネーターの養成、動力機械を操作できる専門性を兼ね備えたボランティアの育成が課題として挙げられています。
【会期】2008年11月1日(土)~2日(日)(1泊2日)
第1日目:13:00~17:30(夕食後座学を兼ねた懇親会)
第2日目:08:30~15:30
※日帰りは要相談、見学自由(連絡の上)
【開催場所】宮城県白石市福岡八宮字大網前287-1
【募集定員】30名
【主催】DRT2008実行委員会
【共催】NPO法人みやぎ災害救援ボランティアセンター(MDRC)
【会場協力】かしゃきでえら(南蔵王協働学舎)
【講習内容】チェーンソー・エンジンカッター・エンジンピック・ジャッキ
スプレッダー・牽引機材・土嚢袋の活用など
【講習料】¥3,000(初日夕食炊き出し代含) 学生¥1,500
【問い合わせ・申し込み事務局】
宮城県白石市緑が丘11-2
電話&FAX:0224-25-3687
携帯:090-9000-6483
メール:teambeavertail@msn.com
担当:黒澤
オールとちぎからも参加します!
参加者、募集中
- 2008/10/18(土) 19:57:58|
- その他地域
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東北新幹線くりこま高原駅前イオンスーパーセンターで耕英地区の農産物等を即売するテントが10日から13日までの4日間設けられました。
イワナの炭火焼をメインに、復興いちごジャム、山に帰るステッカー、がんばろう耕英Tシャツ、そして高原大根とかすみ草が販売されました。

かすみ草は、地震当日の6月14日の朝に種をまいたものです。山にあがる機会が限られた中でも、できる限りの管理をしてきたました。白が300円でブルー(着色液を吸い上げさせた)が400円です。

高原大根は3本1袋で200円ととてもお得な価格ですが、数もそれほど多くなく、午前中で完売。

イワナの炭火焼も中程度のもので350円、大で500円。

テント内では10人近い耕英地区の方々がそれぞれの役割分担で働いています。決して暗い表情ではなく、誰もが明るくふるまう姿が印象的です。
スタッフの数や売上代金を考えれば、もっと生活資金となるようにちょっと高めでも良いのではとの感も抱きました。


13日は新潟県川口町から当日朝駆けつけた5名による震央米の販売がありました(宮城もコメどころだけに苦労されていました)。同じ被災地だからこそ、被災での苦しみや多くの人と繋がることでの心強さ等、互いに分かり合える部分もあります。これからも復興の経験者として、多くの情報提供とともに元気を分けていただければありがたいですね。
栗駒山のみごとな紅葉も、日ごとに厳しくなる寒さでやがて霜にさらされ、まもなく雪が山全体を白くすっぽりと包みこみます。今年の冬は、山よりも気温が高い土地で生活するもの、一段と寒さが身にしみるかもしれません。
そのような被災者の方々を少しでも元気付けるために、皆さんのご支援をお願いいたします。
- 2008/10/16(木) 23:29:11|
- 岩手・宮城内陸地震
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10月12日 耕英地区でオールとちぎとして初めて複数人による援農ボランティア作業を行ってきました。
オールとちぎの参加メンバー5名は2班に別れ、私たちの班3名(矢野、徳山、尾澤)は農業を営むお宅での活動となりました。栗駒の仮設住宅から車で約45分の耕英地区は標高約600mの場所で、紅葉も始まりだして風も冷たく晩秋といった感じでした。

作業内容は農業の手伝いで片付けや来年の作付けの準備作業です。朝のうちは少々寒いと感じましたが体を動かすと寒くもなく暑くもなく丁度作業に適した気温でした。

昼食の時間に活動したお宅の人と話をする機会があり話を聞くと、耕英地区は戦後まもなく開拓され、原生林のようなところを最初は人力で開拓した場所とのことでした。

私たちに出来る農作業の手伝いが終わって、家のご主人が解体する家屋のトタン剥がしをやっていたので少しの間だけ手伝いました。
まだ耕英地区は避難指示や避難勧告等で自由に出入りが出来ない状況なので作業時間が限られています。雪が降りだす11月までに片付け作業や来年の農作業の準備を完了するのは難しい状況であると感じました。
- 2008/10/15(水) 21:46:12|
- 岩手・宮城内陸地震
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10月12日、そばの日の開催の為にくりこまに向かっていたかしまし娘(汗)と君嶋運転手。
福島県を過ぎた頃に「黒澤さん家ってこの辺だよね。寄っていく?」と君島氏
「寄って来ましょう! でも家にいるかな~ あちこち出かけているかもね・・・」
電話で確認しようか・・・でもサプライズもいいかも!!
東北道を降り、白石市内の黒澤宅へ(ちゃーんとナビに登録済みでした。ぬかりないっ)
だめもとで突撃訪問。
すると、いました黒澤さん。
私たちの訪問に少し状況がつかめずに戸惑った黒澤さん。
災害現場でしか会うことのない災害仲間。
なのに目の前にいる。
それも宮城県に。

お母様と庭の手入れ中だったのに作業を中断して
オルとちの4名を迎え入れてくださいました。
お仕事を辞められてからの話や白石の開拓の話や
今度開催する予定のDRTの事など話してくださいました。


上は、災害現場で使用する機材の数々
お忙しい中、ありがとうございました。
栃木からも11月のDRTに参加の方向で進めてまいります。
DRT2008南蔵王の詳しい内容はこちらをご覧ください!
- 2008/10/15(水) 00:08:35|
- 岩手・宮城内陸地震
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耕英の被災者の方たちの懇談の場を設け、お母さん方の家事の負担もちょっとだけ軽減できればと継続している毎週日曜日の
カレーの日
、毎回いろいろと趣向を変えたカレーを提供していますが、たまにはカレー以外も食べたいのではないかと思いを巡らしていました。
そのような中、栃木県さくら市の地元の仲間に蕎麦打ち愛好者が多くいることから、耕英の実態を説明し、ぜひ
手打ち蕎麦を食べさせたいと話したところ、即OKでそば粉も無償提供をいただけることとなりました。
実は、大晦日には朝7時頃から夕方4時ころまで蕎麦を打ち続けて、仲間に配っているほどで、地域には蕎麦打ち4段の凄腕もおり、また、地域の蕎麦打ち自慢が開いている蕎麦店もあるほどで、蕎麦好きが多いところです。
ぜひ、おいしい蕎麦を提供したいとの配慮から、メンバーが育てた玄そばを往復2時間かけて益子町で石臼挽きで粉にしてきました。(きめが細かく、蕎麦殻の混じらない香り高いそばになります)
本当は、打ち立ての蕎麦を提供したいところですが、日曜日に打っていたのでは時間的に間に合わないため、やむなく前日の土曜日に約4時間をかけておよそ120人分の蕎麦を3名で打ちました。(70~80人分をお願いしたのですが、残ってもいいから十分に準備し、お腹いっぱい食べてもらいたいとの配慮から
120人分になりました。)
120人分のそばを積んで、いざくりこまへ


(途中の寄り道は後ほど…)
翌日曜日の夕方、暖かいかけ蕎麦の汁とざる蕎麦のつゆを準備し、
新潟県川口町の和南津から提供されたサツマイモのフライ、玉ねぎと桜エビのかき揚げでおもてなし。皆さん暖かい蕎麦とざる蕎麦を好評のうちに食され、茹でが間に合わないほどでいると・・・・・。あれ、ガスが切れた・・・・

。額に冷や汗たらり・・・

。
やむなく、残り少しの別のボンベにガス代をつなぎなおし、蕎麦茹での大鍋を移し、かき揚げはカセットガス台で緊急対応でなんとか急場をしのぎ、耕英の皆さんに提供終了と思ったところで、ガスが終了。まさに綱渡りの蕎麦の提供でした


当日は、ふだんのカレーの日よりも多くの方に来ていただき(60名くらい?)、おかわりした方も多く、準備した蕎麦も来場者数を大きく上回る量を食していただき、皆さんからは「とてもおいしかったよ」「また食べたいね」と大好評をいただきました。和南津のサツマイモフライもふっくらとおいしく、揚げたてのかき揚げも好評でした。(栃木からのかしましい3人娘もどき

と仙台からの強力美人助っ人

の活躍は、誰もが認めるところです)

(注 ↑は、かしまし娘ではありません!山で作業してきた男性陣とそば茹で担当の君嶋氏
準備から蕎麦打ち、蕎麦茹で、かき揚げ作りなど、ちょっと大変ではありましたが、耕英の方々が喜んでくれたこと、笑顔があふれていたことがとても嬉しかったです


。
自宅に帰り、早速、蕎麦打ちの仲間にお礼の連絡をしたところ、仲間も大変喜んでくれました。
被災地を直接支援できなくても、いろいろな形で応援できることが証明された形です。今後もいろいろな形で応援していけたらいいですね。
栃木県さくら市上河戸の石田茂夫さん、荒巻享さんにはこだわりの蕎麦の提供ありがとうございました

。
- 2008/10/14(火) 21:26:30|
- 岩手・宮城内陸地震
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10月11日、12日にくりこまに行って活動してきました。
朝は少々寒く、徐々に色づいた山々を見ながら現地へ向かい「作業」を手伝わせていただきました。
オールとちぎから5名が参加しました。

2つの現場があるということで、出発の前にメンバー割に多少時間がかかりましたが、
仮設住宅を出発し、約40分で目的地に到着です。

活動をさせていただいたお宅では、あいさつも早々に作業に着手。
お天気にも恵まれ、屋内では暑いくらいでした。
お昼には今後の生活への不安や地域観光のことなどたくさんお話しました。

今回は、1日という短い時間でしたが、
地域の方の「これからの生活」について考えさせられました。。
- 2008/10/13(月) 23:05:56|
- 岩手・宮城内陸地震
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宮城県栗原市の耕英地区への支援のため、
本日栃木より、選りすぐりの敏腕な4名がくりこまに向かいました。
明日の夜の”そばの日”に向けて今日、そば打ちが行われました。
その打ったそばを持って、明日も4名がくりこまに向かいます。
- 2008/10/11(土) 20:52:57|
- 岩手・宮城内陸地震
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仕事で関わりのあるSさんと会議の後、
「アオキさんて、オールとちぎですか?」と。
「そうですけど・・・なんで知ってるの!?」
「やっぱり、災害ボランティアの記事にアオキさんの名前があったから・・・」
一気に話は盛り上がりました。
なんと、Sさんのご実家が宮城県栗原市だったとか。
今回の地震では、食器棚などが倒れて大変だったとか。
くりこま支援で拠点にしている昔居酒屋だった場所の話やくりこま伝創館の事など。
Sさんは、伝創館で成人式を行ったとか!
いやー、世間は狭いな~
- 2008/10/10(金) 00:28:08|
- 未分類
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宮城・岩手内陸地震 援農ボランティア 日時: 10月11日(土)~12日(日)
場所: 宮城県栗原市栗駒地区周辺
予定: 11日(土)
PM4:00頃 宇都宮出発
PM8時前後 栗原市到着予定(活動拠点に宿泊します。)
12日(日) 終日、栗原市耕英地区にてボランティア活動
PM 6時頃、活動拠点にもどり、蕎麦会を予定しています。
PM 8時頃、栗原市出発 → 午前0時宇都宮到着予定
※寝袋、着替えなどをご持参ください。詳しくは、お問い合わせください。
とちぎボランティアネットワーク 028-622-0021
●
新潟中越地震ボランティア同窓会 日時:10月12日(日)~13日(月)
場所:新潟県川口町和南津
(川口の道直し作業他)
●
和南津そばの郷 そば刈り取り 日時:10月25日(土)
場所:新潟県川口町和南津
夜は“和南津絆の道ウォーク”
◆お問い合わせ
NPO法人 とちぎボランティアネットワーク 災害ボランティア オールとちぎ
TEL 028-622-0021
- 2008/10/06(月) 21:23:21|
- 岩手・宮城内陸地震
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10月5日(日)、お隣の茨城県下妻市で、災害の時の話をしてきました。
これは、下妻市社会福祉協議会が主催の“しもつまふくし塾”の中の
災害時のためのサバイバル体験の中の一幕。
オールとちぎから5名が参加しました。
講義の前に、日赤の炊き出し訓練ならぬ袋で炊くご飯を実際に
袋詰めなどを行いました。そこでも君嶋講師のアドバイスが!


専用の釜に米の袋を投入し、いざ講座です。
参加者は、小学生3名から、そのお母さん世代、
おじいちゃん、おばあちゃん世代まで、総勢20名程が参加。
4年前の中越地震の時の被災状況を映像で紹介し、
下妻で地震が起きたらどうする?ということを小グループに分かれて話し合いました。
その際、参加者には事前に”災害が起きた時に必要とおもわれるもの”を持参してもらいました。

携帯型ラジオや救急セット、軍手、ライト、タオルなど
それらの物も含めて、どう動くか?どうなるのか?を意見を出し合いました。
災害現場は、非日常ですので実際に被害にあった方や
被災地に足を踏み入れたことのあるものしかわからない世界です。


オールとちぎのスタッフのアドバイスも加わり、あーでもない、こーでもないと
話は盛り上がり・・・3つのグループから発表をしていただきました。
災害への備えを再確認するよい機会となったのではないでしょうか。
参加者の中には、災害に備えている方も多く、自主防災組織などの動きもあるようです。
いくつかの災害現場の様子やその後の活動の紹介、
はたまたスタッフの有事に備える品々の紹介などなど


今回は、1時間半という短い時間でしたが、
地域の皆さんの「災害に備える」きっかけとなったのではないでしょうか。
- 2008/10/05(日) 16:15:26|
- 会議・研修・講座・イベント
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10月4日(土)、とちぎVネットの屋上の大掃除を行いました。
4年前の中越地震の際に、県内各地から提供していただいた物資や
道具などの整理です。
これまでも、何度か大掃除・片付けはしていました。
しかし、今度災害が起きたときに使えるから・・・
と、ブルーシートやバケツやテント等など、処分を先延ばしになっていました。
そんな物資も、Vネットの屋上にしまっておいたものの
日の目を見ることなく、劣化し・・・とうとう処分となってしまいました。
まだ使用できるものは、Kストックヤードに保管することになりました。
環境には・・・でも被災者には優しいのだ。
- 2008/10/04(土) 21:54:00|
- 栃木県内の活動
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9月28日(日)前日の木沢の棚田の稲刈りが終了し
栃木の一行(矢野次男坊は除く)は、和南津の畑へ
集合時間を間違って30分早く到着。
すでに代表のイサブロこと小林さんは、すでに焼き芋の準備をしていました。
わざわざ、籾殻を持ってきて煙突見ないな物を立てて火をつけていました。
和南津の方々がそろうと、自己紹介もなく、作業の進行の発表もなくサツマイモ掘りが始まりました。
ツルを根元から切る人、マルチという黒いビニールシートをはがす人、
クワやスコップで畝を崩す人、そして、サツマイモを掘り出す人、
それをかごにまとめて回収する人、洗って焼き芋にする人。






軽くクワを入れながら茎を根元から引っ張ると、とっても大きな芋

が出現!
1つのつるから4,5個が収穫できました。まさに豊作です。

芋掘り後、一部は栗拾いに、残りはもうひとつのそば畑の花を見に行きました。
栗は、山栗で小さめ。3,4分歩いたところに落ちている栗のイガ。
小学2年生の矢野家の長女さおちゃんと一緒になって童心に返って栗拾いを楽しみました。
数は、少なかったけれど、自然に落ちている栗のイガから見つけて取り出す体験は
なかなか都会にいては出来ないことです。

わざわざ、あちこちの栗の木をあたってくれた関さんありがとうございました。
充分楽しませてもらいました。
栗拾いから戻った頃には、籾殻で焼いた焼き芋

が出来上がっていました。
熱々、ホクホクのお芋をみんなでいただきました。

ヤーコンやとうもろこし、山で採ってきてアケビも。
11時、畑を後にして和南津の集落センターへ移動
センターの地下でそば打ちの準備。

しかし、地元人がいない。代表の小林さんも丸山さんもいない。
栃木隊で準備して待っていると、“ふのり”をもって皆さんが集まってきました。
小千谷で有名な『へぎそば』のつなぎに使われている“ふのり”
しかし、“ふのり”を使ってそばを打った人がいない。先生も来ない

。
困った栃木のそば打ち二人は、“勘”で打ち始めました。

いつもと違うつなぎに悪戦苦闘しながらも、見事にそばが打ちあがりました。
和南津の皆さんも、これといった指導もなくても、見る見るそばを打ち出しました。
早速、打ちあがったそばをゆで、いざ試食。味は・・・
旨い!



前回から腕が上がっていました。


まだまだ初心者のそばは、極太でしたが、着実に腕をあげてきている和南津の皆さんでした。


また、イサブロのかあちゃんが作ってきてくれた大根葉のチャーハンが、めちゃくちゃ美味しい!



何度もおかわりしたほどに旨かった。
穏やかな秋の日を楽しく過ごさせていただきました



。
木沢の皆さん、和南津の皆さん、ありがとうございました。
今月の25日のそばの刈り取りにも参加します!
新そばが楽しみデス
- 2008/10/02(木) 22:41:23|
- 新潟中越地震
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9月27日土曜日、あいにくの曇り空。早朝、栃木から大人5名、小学生2名で、川口町木沢地区へと出発しました。10時前に現地に到着。車から降り立つと、稲穂が黄金色に輝いていました。五月に、私がへっぴり腰で植えた苗も、たわわに穂を実らせていました。

総勢50名が4枚の棚田で、かまを使って手刈りしていきます。現地では、岩手宮城内陸地震の、被災地を応援する会のスタッフの顔も見られました。女性陣は子供たちと一緒に、稲をわらで束ねたり運んだり。


小雨でぬかるむ足元に苦戦していると、「バインダー」という、小型機械の応援が入りました。

冬眠前のカエルたちは、「いったい何事!?」と慌てて逃げて行きます。我らがボス矢野氏も、農作業リハビリよろしく黙々と刈っていて、バックには張り切る若者の声が響いていました。
お昼になるとお味噌汁がふるまわれ、冷えた身体を温めてくれました。

オーナーさんと地元の方々の間では、遠く見下ろせるのが小千谷市内であること、中越地震前の棚田のことなどが話題にのぼりました。
雲間から陽射しがさしこんできて、作業再開。「はさがけ」(「はざかけ」と言うことも)をはじめました。竿を渡し、稲穂の束をかけ、天日に干していきます。こうすると、機械で乾燥するよりもずっとおいしいそうな。田んぼの中に作る竿は、金属のパイプをつなぎ、幅5m&高さ2.5mほどの物。リレー方式で束を手渡していき、脚立にのった最後の人が干していきます。

残りは、杉の木に渡したロープにかけます。若い人たちはうまく放れませんでしたが、高さ3メートル近くにもなる脚立の上には、栃木の君嶋氏。地元の方と見まごうばかりの活躍ぶりでした。

私といえば、手作りのお菓子をほおばりながら、オーナーさんの奏でるウクレレに耳を傾け、棚田の風景にみとれていました。雨が本降りになる前に、作業終了。

記念撮影後、温泉で疲れを癒しました。
交流会場となる古民家、通称“木沢ハウス”には、総勢30名が集まりました。外では、強い雨の中、地元の男性陣がピザ作り。 さらに、なんとピザを焼く石釜さえも手作り!

中では、地元の女性陣が、お漬物や煮物、カレーなどを用意してくれました。囲炉裏には火が入り、にぎやかな交流会。

笑顔で「また来てください!」と木沢の方、これまた笑顔で「また来ます!」とオーナーさん。そんなつながりの輪の中に、自分も入れてもらえることが嬉しかったです。
木沢とそこに住む方々、そこに魅かれて通う方々にエールを送り、会はお開きとなりました。次は
11月に集まりが予定されています。
橋本
- 2008/10/01(水) 20:55:49|
- 新潟中越地震
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