9月14日で震災から3ヶ月になるくりこまに栃木より4名で向かいました。
復興に向けて各種のイベントに参加して、地域の皆さん一丸となって
山に帰る時に向けて進んでいるくりこま地区。
13日(日)は、くりこま応援する会の目の前の六日町通り商店街において
“みんなでしあわせになるまつり”が開催され、クラシックカーが勢ぞろいしました。
会場では、ボンネットバスが運行されていました。
他には、ミニSLやフリーマーケットなどなど
普段人通りの多くない商店街に、人・人・人・・・
5万人が来たとか、来ないとか(人出は主催者発表を確認して下さい)



沢山の人がくるということで、くりこま応援の会の前でも
“がんばろう!耕英!”Tシャツ・
『山にカエル』ステッカー・
イチゴジャムを販売しました。



ステッカー購入者には、特製きのこカレーをサービスという特典も!
しかし、銘車が並ぶ会場の目の前なのですが・・・人が来ない。
会場の車やバイクに視線は釘付けのお客さん。
応援の会前で、街頭募金みたいに声を張り上げ活動をPRしました。


声を聞いて購入してくれた方も。ありがたい。
大量に!とは言えませんでしたが、ステッカーなどを販売することができました。
しかし、100人分用意したカレーが、残っている・・・(焦
もったいないからと、2時過ぎからメイン会場に設置されている飲食店街に
場所を移動しての販売再開。やはり場所がいいからか、見る見る売れてゆき、
用意したカレーも少なくなりした。
素晴らしい演奏をしてくれたスイングガールの彼女たちにも食べてもらいました。
くりこま耕英震災復興の会の若い開拓三世の皆さんはじめ
二世世代の皆さん大変お疲れ様でした。
この日だけで500匹のイワナを販売したそうです。(写真は、イワナと花)

14日(月)には、くりこま応援の会において、耕英地区の敬老会が開催されました。
その様子は、「くりこま応援の会」のブログを見てください。
敬老会前に、くりこま応援の会のコアなメンバーでミーティングを行いました。
今の仮設の様子・一時帰宅の様子・片付け作業に人手が必要なことなどの報告がありました。
山に戻る為の避難解除の発令は、雪解け後のようです。
その時に向けて、雪が降る前にやらなければならない畑のことなど課題は山積。
そんな課題を、よそ者の力で解決できるよう知恵を絞りあいました。
具体的な案は・・・懸案中です。
くりこま応援の会のHPやブログも立ち上がりました。
震災を忘れ去られないよう、各種メディアや関係機関に向けて発信する
広報についての確認など。
会議後、栃木隊は帰還しました。
(連休最終日、渋滞に巻き込まれたのはいうまでもありません(泣)
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- 2008/09/16(火) 22:05:04|
- 岩手・宮城内陸地震
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9月6日、翌日の那須水害イベントに参加する為に栃木に来た和南津の皆さんが
栃木の茂木町に地域起しの視察に来ました。

茂木町とのつながりは何度もお伝えしましたがもう一度。
04年の中越地震後、復興寺子屋と称して開催した、復興の為の学習会に
茂木町の石河さんに川口町に来ていただきました。
和南津の仮設のプレハブの集落センターでも石河さんに
地域から減気を消して、元気を入れよう!と、過疎化の進む茂木町山内地区での
活動の様子を紹介していただいていました。
震災から3年の川口町荒谷地区にも来ていただきました。
もうひとつあります。
和南津で行っているそばのオーナー制は、この茂木町での活動を参考にしながら
オールとちぎのスタッフ(って私なのだが…)が、休耕田を有効利用しましょう!ともちかけて
始まったのが、今回栃木に来た皆さんの集まりです。また前置きが長かった。。。(苦笑
そんなご縁のある茂木町の視察に同行しました。
13時に茂木のそばの里まぎので合流しました。

なにやらおでこに”冷えピタ”を貼っている人が一人

酒に酔うわずに車に酔ってしまったとか...酔い止め薬でなんとか持ち直し。
そばで昼食を済ませてから、そばの里の代表の方より始まったきっかけや経過、
続けていく中での課題などを聞かせていただきました。

その後、川口町に来ていただきたことのある石河さんが代表を務める”ゆずの里”へ
移動時間は15分程度でしたが、茂木町の山道というかとにかく山

と田んぼ

しかない
この地域をみてもらいました。しかし、川口町同様に豊かな清流が田畑を潤していました。
石河さんより、栃木弁全開でおもしろおかしく、地域も盛り上げていく為の真髄を
聞かせていただきました。

話の後、おうどんのもてなしもありました。
地域に人を呼びよせるには、人をもてなす心が大切。
小さな心遣いの積み重ねが、来てくれた人の心に残るのです。
さて、和南津でのこれからの活動展開が注目されます

勉強続きの茂木町から今回の交流の目的である那須に向かいました。
途中、雨

に降られ、少し遅れての到着。
会場のゆめプラザ・那須に明日販売する野菜他をおいて交流会会場へ
会場の寿司義さんでは那須のみなさん、オールとちぎのみんなが集まっていました。
今回、那須のイベントの実行委員でもあり、4年前に和南津地区に『那須の恩返し隊』として
参加し、いまも和南津との交流のある大島さんより挨拶があり交流会はスタート




水害と地震と災害の違いはあるけれど、被災してツライ体験をしたのは同じ。
それぞれの“あの時”を思い返し、災害の恐怖を乗り越え、助け合いの大切さ、
また、ボランティアへの偏見が実際に活動に参加してくれたボランティアによって払拭されたこと。
実際に、自分や子供たちがボランティアに参加するようになった話などなど



参加者の自己紹介で盛り上がり、新潟の『花笠甚句』

と『天神囃子』で盛り上がり
カラオケの『北国の春』をバックに全員で踊りました!

とにかく、盛り上がりました!素敵な交流の芽が伸びはじめました。

- 2008/09/12(金) 00:27:56|
- 栃木県内の活動
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現在、大規模災害時には、社会福祉協議会を主体に災害ボランティアセンターが設置されています。この災害ボランティアセンターを設置してボランティアを受け入れ、被災者支援を進める枠組みが作られたのが10年前の那須の水害でした。
あれから10年が経過して、今回のイベントのフォーラム1部では「あのときなぜ日本初の”災害ボランティアセンター”ができたのか~那須水害救援をふり返る」とのテーマで、当時ボランティアセンターを開設して活躍された3名(那須町民でフォーラム実行委員長の増田さん、那須町社協の津田さん、我Vネット事務局長の矢野さん)により、当時の経緯や苦労された点等の振り返りがなされました。

そして、その後の第2部では、若干予定を変更しパネルディスカッションの前に、那須水害の被災者である大島さんと、はるばる新潟から参加いただいた川口町和南津地区の丸山さんに、ショートスピーチをいただきました。

それぞれ、被災当初はボランティアへの不信感がぬぐえなかった心情と、その後の活動によって深い感謝の念を抱くようになったこと、そして、被災して支えあいの大切さを痛感した自分たちだからこそ、被災地で恩返しがしたいというお話をいただきました。

また、丸山さんからは、被災直後に国会議員が視察に来られた時に、国の救援制度の充実が不可欠である旨を発言されていたことも伺いました。
その後の2部は災害ボランティアや防災研究で著名なメンバーが並びました。
関西学院大学復興制度研究所教授の山中先生、神戸の被災地NGOセンターの村井さん、つい先ごろまで日本財団で災害支援を強力に支援されていた黒澤さん、そして、われらのボス矢野さんといった面々。
* パネルディスカッションの詳細な内容は、コーディネートしていただきました村井さんから、震つなへの報告(震災がつなぐ全国ネットワーク:お知らせ(平常時)に掲載)」すでになされていますので、そちらをご覧いただきたいと思います。
まず、各パネラーの方々から、これまでの活動も踏まえた発言の後、現在の災害ボランティアの課題等について意見が出されました。
皆さんから提起された内容を、荒っぽくまとめれば、
① 災害ボランティアセンターがボラセン設置ありきでマニュアル化され、被災者に寄り添うといった本来の視点が欠けてしまっていないか。
②赤紙の住宅での活動等、ボランティアがさらに専門性を高めることが求められている。
③被災者救援のさらなる法制度充実が求められるが、それだけで解決するわけではない。被災者支援のボランティアが、ひとりひとりの被災者の具体的な支援に入る意識が必要。
④災害ボランティア活動のための財源問題を解決するためにも、寄付等によるボランタリー経済が必要。
というような意見が出されました。


今回のフォーラムで、改めてボランティア活動の原点を見つめなおす必要を痛感しました。被災者にいかに寄り添うのか、制度ではなくボランティア個々人の意識が問われているということではないでしょうか。
現在も仮設住宅での生活を余儀なくされ、先の見えない不安を抱えておられる岩手宮城内陸地震の被災者の方々への寄り添いとボランティア活動、復旧から復興に向けて取り組んでおられる能登や新潟の皆さんへの長いスパンでの支援活動、年月は経過しても風化させてはいけない那須の水害や阪神淡路大震災の経験の伝承。
われわれ災害ボランティアの活動内容も、時代とともに変化し続けているのかもしれません。向上心がなくなったときから後退が始まっているのかもしれません。
最後に村井さんの報告のまとめから
「災害を未然に防ぐことはできないでしょうが、減災という考え方が徐々に浸透しています。この10年間では、名古屋のRSYの家具転倒防止ボランティアや関東地域の日常における耐震活動などでてきました。こうして減災活動を継続しながらも、災害時の対応を考えなければならない私たちの災害ボランティアの活動は、ますます質的転換が求められていると思います。」
- 2008/09/11(木) 18:24:59|
- 栃木県内の活動
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私たちは、那須水害10年目イベントで、防災ゲームを行いました。
私自身、那須水害当時は会社から物資を提供したのを覚えているくらいで、現地に行ったわけでもなく、あまり記憶にあるものではありませんでした。しかしその後参加した新潟県の燕三条での水害の経験と、前日会場近くの宿泊した民家の方の話や、那須の方の話を聞いて、水害の恐ろしさについて改めて考え直す機会となりました。
さて、「なすっこ防災ゲーム」の内容は、地震が起こったと仮定して、自宅から避難所までの道のりでの近所の方との協力や助け合いを学ぶものです。避難するリュックの中身だけで、応急手当をしたり、初期消火の手伝いをしたり、ライフラインが止まった状況でのトイレを考えたりといった内容です。
参加者は親子、兄弟、友達などで、20組以上の参加がありました。小学校低学年には少し難しい内容でしたが、がんばって考えて挑戦してくれました。大人が思いつかないような答えがたくさんあり、僕たちが驚かされることが多々あり、とても楽しく勉強になりました。
これを機会に、家族で防災のことを考えるきっかけになるといいなと思います。
ゲーム以外にも、水害プチ問題として「知ってるかな?」と題して3択問題も準備しました。那須水害時の降雨量は何ミリ?、避難する警報はどんなものがあるか?降雨量何ミリ以上でどれくらいの被害が想定されるか?なども展示し考えてもらいました。


また、那須水害からのオールとちぎの活動の様子をパネルにまとめて展示しました。



地元那須の方や、和南津の方、オールとちぎのみんなとの交流ができて楽しく勉強になった2日間でした。
岩手宮城地震のボランティア活動募金にご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

今回、模擬店の一部ではリユース食器が使われていました。(見ずらいけれど、左側の軽トラに洗浄システムが設置されています)今後もこのようなエコな活動が広がるといいなと思いました。
災害(防災)ボランティアオールとちぎ 関口
- 2008/09/10(水) 20:34:54|
- 栃木県内の活動
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9月7日の朝は、曇りでした。「那須水害フォーラム」のため那須に来ていた和南津の皆さんのうち5名に、鹿沼市社協の「防災ボランティア講座」に参加してもらいました。
鹿沼市社協では、それぞれの視点から、当時の様子をふりかえり、防災の大切さと地域住民のネットワークの重要性、上手なボランティアの使い方など講演していただきました。また、グループワークでは、鹿沼市民より積極的な質問と具体的な解決策及びどのように対応したかなど、なかなか盛況でありました。
鹿沼市民の中には、「ソバの交流ができそうだ」とか「現地見学ツアー」などもできるのではないかと大盛り上がりで、「次回の開催が楽しみだ」といった意見が多く見られました。
講座終了後、12時40分ごろに那須に到着。
那須町水害から10年目はVネットとして災害支援のひとつの節目でもあります。今後は先人の築きあげてきた知恵や工夫に更なる進化を加え、被災地、被災者支援をしていきたいと思います。
また、いろいろな側面から支援のできる仕組みとメンバー拡充に努めたいです。
さらに、失敗したり、迷惑をかけたりと問題はありますが、これからも、ご理解、ご支援を賜りたいと思っています。
今回は、「人と人とのつながりの重要性」と「継続支援や後方支援の必要性」を大いに感じました。
- 2008/09/10(水) 00:13:57|
- 会議・研修・講座・イベント
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8月31日(日)復興車座トークが栗原市で開催されるのに合わせて
栃木より3名で30日に栗駒入りしました。
当日は、全国的に荒れ模様で、前日には愛知県岡崎市での
広範囲に水害被害が報道されていました。
東北道も降ったり止んだりで重ーい雲におおわれていました。
夕方、くりこま応援の会の拠点に到着し、仙台にイワナなどの販売に
くりこまの方々と出かけていた常駐スタッフの菅原さんと合流しました。
全国から復興車座トークに参加するために駆けつけた先生方と一緒に夕食会に参加。
場所は、くりこま応援の会のすぐ横の“たかの”さん(歩いて3秒ぐらいの近さ!)
名だたる先生方と被災者の方々とも合流し『乾杯』

初めは、どんなことを話せばよいのかわからず・・・
しかし、時間の経過と共に緊張感も解け、暑いトークが行われました。
被災者の方の仕事の話から始まり、恋話やブログの話等など
翌日に余力を残さねば、と早めに解散しました。

耕英のイワナ
翌日はあいにくの雨。
この日は、某テレビ局の24時間企画。(ってバレバレかっ)
拠点近くの岩ヶ崎小学校にお笑いのサンドイッチマンが来る!ということで
地域の皆さんは小学校へ
そんな姿を後ろに私たちは復興車座トーク会場へ
開会の挨拶後、栗原市の担当者より『被災者支援のお知らせ』についての説明がありました。
いままでの地震の被災地ではこんな短時間でこのような小冊子が出来ることはありませんでした。
今回の地震は過去の地震被害と違っていました。
自宅から離れて暮らさなければならない状況は三宅島の噴火災害に似ているそうです。
実際に、三宅島で被災して東京で生活している方の話などを聞かせていただきました。
耕英地区・花山地区の方々から、現状の説明がありました。
とても悲惨な状況にあっておられる皆さんの悲痛な声が全国の皆さんに届き、
よりよい支援策が作り出されることを願わずにはいられませんでした。

具体的には、被災後に発行される『り災証明書』について。
この『り災証明書』に、全壊・大規模半壊・半壊・一部損壊などの判定が記入されます。
その判定結果によって、今後の支援が前面的に受けられる・受けられないが決まってきます。
その結果により、今まで親しくお付き合いしていた関係に亀裂が入り、挨拶も交わせなくなった・・・
と、生活再建に向けての格差が浮かび上がり、地域コミュニティーが成り立たなくなってきていると。
復興には長い時間がかかります。
その長さは、誰にもわかりません。先の見通しのつかない状況は、精神的に人を追い込みます。
そんな状況に必要なのは被災者に寄り添う”よそ者”であるのではないでしょうか?
ボランティアという言葉さえも聴きなれない被災地にボランティアが風を吹き込むことで
状況は少しではあるけれど前進すると思います。そして、今回の地震の被災者の方々は、
いち早く自分の住む地域のためにと動き出すことが出来ています。
地域の方と共に先の見えない“復興”の時まで歩んでいければいいなあ~と思います。
近い将来起きるとされている宮城県沖地震に備えて、
いまこそ宮城県民の力を集結して進むべきなのでは・・・
さて今回のカレーの日の厨房担当は、やっぱり菅原さん?
菅原カレーだけでなく、色んな味のカレーがあるといいですね!
そういえば今日は「防災の日」
“災害は忘れた頃にやってくる”というフレーズが
“災害は予想をこえてやってくる”にかわっていました。
- 2008/09/01(月) 22:44:03|
- 岩手・宮城内陸地震
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